西 毅徳

レジデンス・プログラム

二都市間交流事業プログラム(派遣)

更新日:2024.4.4

西 毅徳

参加プログラム二国間交流事業プログラム(派遣)
活動拠点日本
滞在都市/滞在先ヘルシンキ/HIAP (Helsinki International Artist Programme)
滞在期間2023年8月 - 2023年11月
滞在目的

今回のプログラムでは、フィンランドの光と建築の調査を行うと共に、現地の自然環境を取り入れた空間作品を制作します。フィンランドは太陽の力に翻弄される国だと言えます。そして太陽を巧みに扱かった建築と、それを設計した著名な建築家達を輩出しました。私は建築に対する光の取り入れ方と空間の関わり方、また自然環境自体を、計測器などを用いて調査したいです。そして最終的には、それぞれの調査をもとにした空間作品を制作します。

滞在中の活動
  • 光の建築を調査
  • 自然環境の調査
  • 素材の調査、作品設置場所の選定(フィンランドならではの素材を探す)
  • 現象と素材の実験と検証(作品サイズ感と空間構成の設計)
  • 空間作品の制作、アーカイブ撮影
滞在中に行ったリサーチ及び制作活動

フィンランドは陽光が生み出す美しい建築空間が数多くあり、そして自然環境と人間の距離感は素晴らしい。西はフィンランドの建築調査の中でもユハ・レイヴィスカの建築から自然光と建築空間の関係と手法を研究した。そして、自然環境からは白樺の葉の動きに着目し、スチール素材を使って再構築させる。建築的手法と自然環境からの発想によって生まれた作品はオープンスタジオで発表した。

《Koive》メイキング ⒸTakatoku Nishi

《Koive》メイキング ⒸTakatoku Nishi

      

       

《Koive》メイキング映像 ⒸTakatoku Nishi

滞在の成果

フィンランドの建築を100箇所近く訪れ調査し、陽光の取り入れ方の特徴が垣間見えた。太陽角度を見ると日本の秋冬とフィンランドの夏が同じ角度である。それによって日長な夏でも影が伸びるように、見えてくる光景も異なる。それは太陽への考え方も変えているようである。ここまで経済的にも文化的にも高度でありながら、太陽の恩恵を感じ、大事にしている国はなかなかない。この調査と経験は今後の制作活動にとって、とても重要なポイントとなりそうである。現段階では全てを活かしきれないが、まずはユハの建築で知ることができた、明るくても光を体験できる空間を考えたい。また、自然環境も日本のように街と森の境界があるわけではなく、どんなに都会でもいつの間にか森の中にいるような、境界を感じない環境であった。つまり、建築と自然が密接であり、私の考える空間の理想的な環境だとも思った。滞在の最初から最後まで居心地の良さをずっと感じていた。
オープンスタジオに向けた作品の素材を選定するにあたり、光学的な効果があること、強度と同時に加工がしやすいこと、そして島内までの運搬が容易なことが求められた。HIAPの工房担当者におすすめのDIYショップをいくつか聞き、色々と回ったところスチール素材の吊りバンドにいきついた。この素材を使って、滞在中最も印象に残った白樺(フィンランド語: Koive)の葉の動きを再構築した。そして、スタジオ内の基礎を使うことで、この場所だから成り立つ形態の空間を生み出した。反省点としては、設置撤去を簡略できる構造を考えられなかったことである。今後の課題として活かすつもりである。
10月末のオープンスタジオに向けて、自身の中で空間を体験できるサイズを考えていたので、HIAPスタッフと初めからそのことについて相談を続けた。やりとりをしていて驚いたのは、とても臨機応変に、作家側を考えた最善の結果になるように常に対応をしてくれたことである。例えば、世界遺産であるスオメンリンナの建物外での展示は行政からの許可が必要とのことで、作品制作前に多くのプロポーザルを作ったが、その都度文章を直してくれたり、対策を一緒に考えてくれたりした。その結果、なんと世界遺産である島内での設置に許可が降りたのである。もちろん運良く、関わってくれた方たちが素敵な人ばかりだったのだとも思うが、同時にフィンランドのアートに関わる方や行政までも、なんておおらかで理解がある人が多いのかと驚いた。最終的な発表は設営撤去の時間や、天候を考慮してスタジオ内での展示へと変更したが、この経験は印象的であった。
そしてもう一つ印象的だったのは、帰国日に知らされたユハ・レイヴィスカの訃報である。訪れた当初からこのチャンスを活かして、ユハに会いたいと強く考えていた。そのために、連絡先を探してはメールを送ったり、キュレータープログラムに参加中のレジデンス仲間から情報を聞いたりして、アポイントを取ろうと試みたが、どこからも返事をもらうことができなかった。今考えると、もう既に引退していたのだと思う。そして帰国日の10日、飛行機へ向かっている最中、ユハが9日に亡くなったことを知らされた。もう少し元気なうちに来られていたらという思いと同時に、存命中に同じヘルシンキに滞在できたことに感謝の念が生まれた。憧れていた方が、このタイミングで亡くなったことがとても衝撃的で忘れられない。

《Koive》2023年10月28日, 吊りバンド, H3670mm, W8200mm, D1200mm ⒸTakatoku Nishi

オープンスタジオ ⒸTakatoku Nishi


《Koive》2023年10月28日, 吊りバンド, H3670mm, W8200mm, D1200mm ⒸTakatoku Nishi

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