武政朋子「その容れ物は私ですか」

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本郷

武政朋子「その容れ物は私ですか」

OPEN SITE 10|公募プログラム【展示部門】

他者の写真を巡るインタビューと、水によって侵食されるイメージを中心にした映像インスタレーションを展開。見知らぬ人々が写真について語る映像は記憶や経験をもつ「個」の存在を攪拌し、スクリーンの反対側から投影される濡れていく印刷物を用いた映像は、イメージとしての「個」の不安定さを強調する。鑑賞者の影を巻き込んで変化する空間で、心身を曖昧な容れ物として見つめる時間を構築し、いかに認識の領域を拡張できるかを問う。

会期
2025年11月22日(土)- 12月21日(日)
休館日月曜日(11月24日は開館)、11 月25 日(火)
時間
11:00-19:00
入場料
無料
会場トーキョーアーツアンドスペース本郷 スペースA(1F)

《IAMNOWHERE》2025

《IAMNOWHERE》2025

《IAMNOWHERE》2025

「UNKNOWN」2023 展示風景 撮影:間庭裕基

「Drawing with different eyes」2023 展示風景 撮影:伊藤久也
写真提供:田中 永峰 良佑 

関連イベント

パフォーマンス
日時12月6日(土)16:00–
出演
小山衣美(ダンサー、振付家)
料金
無料
会場トーキョーアーツアンドスペース本郷 スペースA(1F)

プロフィール

他者の語りや写真を起点に社会の中で「私を個とするものは何か」という考察を軸に制作を行う。 光源の上で印刷物を濡らし、消失しながら立ち現れる像を撮影する方法を用いて不確かさの表出を試みている。主な展覧会に「IAMNOWHERE」(旧ユースタイルビル、青森、2025)、「UNKNOWN」(Arai Associates、東京、2023)など。

https://tomokotakemasa.com

カタログ

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画像

レビュー

「私」の輪郭が溶け合うところ、変容する断片を巡るアトラクション

小林晴夫(OPEN SITE 10 審査員)

 武政朋子はこれまで写真に現れるイメージを扱ってきた。写真は具体的なものを写しているはずなのに、極めて曖昧なメディアでもある。そのイメージをさらに溶解させていくことで、イメージと意味の結びつきの不確かさを問うような仕事をしてきた。
 その手法が独特で、写真をインクジェットプリンターで普通紙にプリントし、2枚の異なる写真が重ねられ、裏返しにライトボックスに置き、その上から水を注ぎ込むことで、滲み出してくるイメージの変容を定点でカメラに収めていくというもの。この一連の仕事は時間をかけてプラクティカルに展開しており、次第に複雑にイメージが侵食し合い、抽象化されるにつれ、視ることのメカニズムやイメージの認識についての考察も重ねられ、いよいよ読み取ることが困難なイメージが現れてくる。映像作品は刻々と変化する表情を追い、写真作品は一瞬見せる表情を定着させるという、ある意味では真逆のアプローチを試みている。またそれは同時に「私」という不定形に変形し続ける自己の輪郭を示す作業でもあった。
 今回の「その容れ物は私ですか」では、武政が抱えてきた文字どおりの「私」のイメージから、他者が抱える「私」のイメージへ大きく対象をシフトしている。展覧会の軸になっているのは、3人の協力者(小山衣美さん、椎木静寧さん、田中郁世さん)によって提供された写真を加工した写真作品と映像作品。これらに加え、3人の協力者たちが思い入れのある写真を眺めながら記憶を頼りに語られる3つのインタビュー映像が制作された。
 日常で撮影される写真は、そこに居合わせたものたちにとって何かしらを証明する装置でもあるが、「いつ、誰が、どこで、何を」といった情報は、当事者たちの記憶によって補完されるメディアでもある。イメージそのものは但し書きがない抽象的なものだからだ。当然ながら記憶はもっと曖昧なものなので、写真を見る度に書き換えられていくことになる。
 オープニング・トークで武政は、制作の傍ら続けている教職業をとおして、日々多くの他者と対峙する中、真摯に向き合えば向き合うほど、自分の意思と関係なく自分が変形してしまうと感じると話した。この自己の輪郭の可塑性への興味が作品の底流にあり、イメージを巡って記憶を辿る、その行為(語り)の記録を思いつくヒントにもなっている。
 今回の展示は、その3種の作品がお互いに干渉し合い、混在するようにインストールされている。
 1階のギャラリーには、2面の自立したスクリーンが少しずらされた形で配置され、映写された映像で斜めに空間を塞いでいる。壁面には写真作品が点在しており、壁沿いに奥へ進んで折り返すと、窓際に向かって袋小路になっている。途中に2面のスクリーンの隙間から、先ほど歩いてきたところが切り取られて見えたりするところは、ちょっと街角の経験と似ている。といっても、軽量鉄骨でできたスクリーンの支持体がこの展示の構造やレイアウトをシンプルに示しながら観客を誘導するので、どこかの博物館にあるフェイクの街角みたいなつくりだ。明快なフレームに反して、中身に収められている水に滲んだイメージと掴みどころがない語りは、不明瞭な上に、個別に経験することができない仕掛け。
 スクリーンの両面から映写される映像は左右にも表裏にも重なり合い、さらに窓から差し込む光が時刻とともに異なるレイアウトをつくり、壁にある写真作品にさえ干渉し、焦点を合わせるところが見当たらない。3人の語りは、常に同時に再生され、点在するスピーカーの指向性も影響して、センテンスに切り取られ、不意に聞こえたり、重なったり、入れ替わったりする。全ての情報が断片的に散らばって、どこを切っても、何かしら意味がありそうで、つながらず、まるで知らない街角で目的を見失ったような気分を味わった。
 行き止まりの窓の下にはL字の棚が設けられ、淡い色の大量の紙が綺麗に折り重ねられている。これらの紙は一度プリントされてイメージを剥がされたもの。よくみると色の抜けた洗いざらしの紙にはぼんやりとイメージが残っている。
「2枚の紙のイメージは、実は崩れているわけでも、混ざり合っているわけでもなくて、紙を剥がせば、元の位置に収まっている。両面から映写された映像も別々の層が共存しているだけ」という本人の発言を聞いて気がついたのだが、確かにそれぞれの作品は、混ざっているという程には混ざっておらず、崩れても壊れてもいない。よく見るとただ与えられた場所にあるという状態なのだ。
 またこのインスタレーションは写真の提供者だけでなく、什器設計や設営をした太田遼や声の整音をした藤口諒太など、他にもコラボレータが適所で発揮して、それぞれの作品が持っているパーツの位置関係を丁寧につくり出している。それぞれの要素を壊れたものとして受け取ってしまうのは、どうしても読み込もうとする観るものの欲望がなせる技ということだろうか。あるいは読み解こうとする視線をはぐらかし、ただそこにあって変容するイメージの断片だけを体感するアトラクションと言えるかもしれない。


小林晴夫
blanClassディレクター、アーティスト。1968年神奈川県生まれ。2001年~2004年Bゼミ所長。2009年blanClassを創立し、芸術を発信する場としてライブイベントを多数実施。現在はアーカイブ運営と出張企画等を中心に活動を展開している。


参加クリエーター

武政朋子

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