更新日:2026.1.5
| 参加プログラム | 海外クリエーター招聘プログラム(個別プロジェクト) |
|---|---|
| 活動拠点 | フランクフルト(ドイツ)/ソウル |
| 滞在都市/滞在先 | 東京 |
| 滞在期間 | 2026年1月 - 2026年3月 |
明治維新を通じて日本が西洋文化を積極的に導入したことにより、西洋音楽は国内の近代化のための手段から、植民地における同化のための仕組みへと変容した。 このリサーチは、アメリカで教育を受け、東京初の音楽学校を設立するとともに、台湾において音を媒介とする同化政策を実施した教育者である伊澤修二に焦点を当てる。 とりわけ、西洋と東洋の戦略的折衷として位置づけられる唱歌(学校唱歌)教科書を対象とし、それらが植民地期の韓国においてどのように受容・改変されたのかを分析する。 これらの歴史的変容をたどることで、植民地におけるサウンドスケープ(音風景)が現代の東アジアの音楽教育および文化的アイデンティティに及ぼしてきた持続的影響を明らかにしたい。
・伊澤修二および植民地期の台湾における音楽教育制度での唱歌導入の歴史研究
・小学唱歌集に基づく唱歌の音楽学的分析
・伊澤修二による西洋音楽と東洋音楽の戦略的な折衷(和洋折衷)によって生み出された、新たな唱歌の音楽学的形成に関する研究
・日本初のラジオ放送局 JOAK と、日本統治下の朝鮮に設立された植民地期放送局 JODK の歴史的展開の追跡
・リサーチ内容の整理と、作品の実践的構成要素の展開および楽譜の制作
レジデンシー期間中、私は伊澤修二が近代音楽教育の基盤を築く上で果たした極めて重要な役割について調査を行った。研究では、彼の米国での学術的研鑽と、それに続く「音楽取調掛」の設立に焦点を当てた。具体的には、彼が『小学唱歌集』のために選定した楽曲基準や、西洋と東洋の音楽体系の戦略的な折衷である革新的な「和洋折衷」の手法について分析した。 多様な分野の研究者にインタビューを行うことで、日本の前近代的な音楽の様相と、こうした新たな取り組みに伴う音楽の社会政治的役割とを比較検討した。私は、伊澤の影響を通じて西洋音楽がいかにして最終的に童謡として定着していったかを検証した。さらに、伊澤の業績を韓国で刊行された『普通教育唱歌集』と対比させることで、こうした歴史的変容を探求した。この研究は、調査結果の整理と実用的な楽譜の作成へと結実し、東アジアの音楽的アイデンティティに対する植民地主義の影響を明らかにした。
音楽史家の塚原康子氏と面会
静岡文化芸術大学の奥中康人教授と面会
このレジデンシーは、普段なら個別に会うことが難しかった著名な音楽学の教授方と交流できる、かけがえのない機会となった。こうした出会いを通じて、自身の研究テーマを、政治的、社会的、文化的な多角的な視点から考察することができた。単なるインタビューにとどまらず、教授方の私的アーカイブや一次資料に直接アクセスできたことで、実証分析が大幅に深まった。さらに、これらの指導者たちは新たな研究の可能性を切り開き、他の研究者たちとのつながりを促し、学術的なネットワークは大きく広がった。 今後もこれらの研究者たちと継続的な知的交流を続けていく予定である。今後の主要なプロジェクトの一つとして、オープンスタジオで披露した歌曲『むすんでひらいて』を、多言語の合唱曲として再構成する音響作品を制作する予定だ。この創作活動と並行して、研究の範囲を広げ、伊澤修二の影響を韓国だけでなく台湾や中国においても調査し、各地域の『普通教育唱歌集』を比較することで、東アジア全体を包括的に捉える視点を目指す。この経験は、私の研究と芸術的実践の継続的な発展に向けた確固たる基盤となった。

《Rousseau’s Dream》の索引、2026年、デジタル画像

《Rousseau’s Dream》2026年、段ボール、和紙、韓紙を用いたドローイング・シリーズ7点、29.7×42cm、
写真:間庭裕基