OPEN SITE 10|公募プログラム【展示部門】
ゲームフィールド内の自然や都市、人工物に宿る多様な音のレイヤーに耳を澄まし、「万物の声を聴く」体験を描く参加型インスタレーション。プレイヤーがフィールド内を探索し、複数の録音機材を使い分けながら収集した音は会場のスピーカーを通じて再生され、現実空間の音風景を再構築する。仮想空間で音を収集することを通じて、音を聴く行為そのものの意味や可能性を問い直すことを試みる。
| 会期 | 2025年10月11日(土) - 11月9日(日) |
|---|---|
| 休館日 | 月曜日(10月13日、11月3日は開館)、10月14日(火)、11月4日(火) |
| 時間 | 11:00-19:00 |
| 入場料 | 無料 |
| 会場 | トーキョーアーツアンドスペース本郷 スペースB(2F) |
| 協力 | 令和6年度文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業 |
| 技術協力 | 石原 航(ゲームシステム)、高橋祐亮(ワールドデザイン)、清水琳名(什器制作) |
| 機材協力 | 株式会社オーディオテクニカ、株式会社コネル |

《野生のオーケストラが聴こえる》2025

《野生のオーケストラが聴こえる》2025

《野生のオーケストラが聴こえる》2025

《野生のオーケストラが聴こえる》2025

《野生のオーケストラが聴こえる》2025
マイクロフォン、ヘッドフォン、レコーダー、そして仮想空間——。テクノロジーの進化は、私たちの「聴く」という行為をどのように変えてきたのでしょうか。
本トークでは、美学・身体論の視点から感覚の変容を捉えてきた美学者の伊藤亜紗氏と、録音という行為をとおして環境との関係を探り続ける音文化研究者・フィールド録音作家の柳沢英輔氏を迎え、テクノロジーとともに変容する「聴くこと」そのものの本質について語り合います。
本展では、プレイヤーが仮想空間を歩きながら音を採集していきます。その体験は、ただの再現ではなく、“耳をとおして世界を組み直す”新しい感覚のプロトタイプでもあります。「聴くこと」の未来をとおして、人間と世界の新たなつながり方を考える。そんな思索の入口となる対話に、ぜひご参加ください。
| 日時 | 11月2日(日) 15:00-16:30 |
|---|---|
| 出演 | 丸山翔哉 |
| ゲスト | 伊藤亜紗(美学者) 美学者。東京科学大学未来社会創成研究院DLab+ディレクター。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)、『体はゆく』(文藝春秋)など。 柳沢英輔(音文化研究者、フィールド録音作家) 音文化研究者、フィールド録音作家。博士(地域研究)。現在、日本学術振興会特別研究員RPD。主な著書に『ベトナムの大地にゴングが響く』(灯光舎、第37回田邉尚雄賞)、『フィールド・レコーディング入門―響きのなかで世界と出会う』(フィルムアート社、第1回音楽本大賞&読者賞) |
| 料金 | 無料 |
| 会場 | トーキョーアーツアンドスペース本郷 スペースB(2F) |
サウンド・アーティスト。多元的な聴取行為を通じて、他者や環世界の音の捉え方に触れ、自らの聴取を再帰的に問い直す実践を行う。近年は現実と仮想空間における聴取行為から聴覚的エージェンシーを探る表現を展開。
主な展覧会に「令和6年度メディア芸術クリエイター育成支援事業成果イベント『ENCOUNTERS』」(TODA ホール&カンファレンス東京、2025)、「ARTBAY TOKYO アートフェスティバル 2024」(日本科学未来館、東京)など。
shoyamaruyama.notion.site/
出版物ページより「OPEN SITE 10」各作家のカタログをダウンロードできます。ダウンロードはこちら
録ることの輪郭──丸山翔哉「Virtual Field Recording ―万物の声を聴く―」
金子智太郎(OPEN SITE 10 審査員)
フィールドレコーディングと呼ばれる録音を聴く楽しみのひとつに、技術を通じて聴覚の輪郭を省みる経験がある。聴覚は先天・後天的なたくさんのフィルターがあり、他の感覚と連動している。それに対して、録音は人体と異なるフィルターがあり、他の感覚から切り離されている。フィールドレコーディングの鑑賞者はいわば別種の聴覚に接し、それを自分の聴覚のありかたと比べる。両者のずれに気づくと、自然なものに感じていた聴覚の輪郭が揺らぐ。この感覚は快感でもあり、発見に満ちていて、日々の暮らしに影響をあたえることもある。
丸山翔哉の展覧会「Virtual Field Recording ―万物の声を聴く―」は、鑑賞者がビデオゲームのなかでフィールドレコーディングを実践できるインスタレーション《野生のオーケストラが聴こえる》を中心とする。丸山の説明を聞きながらプレイしてみて、私は本作品が上に述べたような経験をもたらす表現ではないだろうと感じた。鑑賞者の意識は聴くことよりも、フィールドレコーディングという能動的実践のありかたに向かう。本作品はゲームというフォーマットを通じて録音するという行為を楽しみ、省みる機会をもたらすのではないか。
《野生のオーケストラが聴こえる》は聴くことに関しては、比較を通じた現実との関係に開けていかない閉塞感がある。鑑賞者が録音する音は主に、丸山が現実世界のなかで録音した音であり、複製の複製である。一般的なフィールドレコーディングには不可避的に生じる現実の音と録音のずれは本作品にはない。鑑賞者は現実から二重に遠ざけられ、人工世界の環境音とそのなかで録音される音のあいだで堂々めぐりをする。たしかに、現実の音と人工の音という二元論が不毛でしかない表現はある。しかし、フィールドレコーディングを主題とするこの作品の場合は、現実に録音した音を用いることが、むしろ現実との関わりが希薄であるという印象をもたらす。
丸山は本作品に「主体の聴取の痕跡」が残ることを強調する。私の考えでは、このことも閉塞感に一役買っている。プレイの痕跡がシステムにデータとして蓄積される。プレイする鑑賞者に他者の痕跡の全体像が伝えられることはない。生態系のなかで各生物種が固有の音響空間を占めると考える、バーニー・クラウスの「音のニッチ仮説」が隠された真実のように実装されていることは、システムによって聴取が管理されているという印象を強める。「万物の声を聴く」という展覧会の副題も人工世界の創造者である作者の存在を際立たせる。作者によって与えられた音を聞くという印象が拭えない。
聴くことと比べて、《野生のオーケストラが聴こえる》はやはり録ることがゲームの原動力になっている。丸山はおそらく鑑賞者の興味を持続させるために、本作品に録音をめぐるいくつものギミックを取りいれた──マイクの機能を駆使して隠された音を捕らえる、そのためにさまざまなマイクを手に入れる、隠された音から他者の内面を推測する。これらは過去の野外録音文化の楽しみとして強調された。
《野生のオーケストラが聴こえる》は3つのステージからなる。最初の都市マップでは、鑑賞者は画面に見える対象が発する音だけでなく、マイクをズームすることで建物内部の音を聞くことができる。第2の自然マップでは、コンタクトマイク、ハイドロフォン、シグナルスコープという特殊なマイクを拾い集め、聴取の領域を拡大できる。最後のステージは都市マップに戻りでは、自然マップで獲得した機材を使って周囲の人間が聞いている音を聞き、彼らの行動の意図を推測できる。
マイクによって聴覚を拡張する欲望は、フィールドレコーディングという名称が芸術に普及する以前に、野外録音の実践がかつて「サウンドハンティング」と呼ばれたことを想起させる。感覚は一般的に、特に聴覚は視覚との対比において、受動的と見なされがちである。耳には視線に相当する言葉がない。しかし、対象にマイクを向けて録るという実践は、聴覚の能動的な欲望をあらわにする。《野生のオーケストラが聴こえる》はゲームというフォーマットを通してこの能動性を際立たせ、ゲームの動力にする。聴覚を拡張する欲望は、フィールドレコーディングという実践が歴史を重ねていくなかで変化してきた、録ることの輪郭のひとつである。
先に《野生のオーケストラが聴こえる》は聴くことに関して、現実と隔てられた閉塞感があると述べた。しかし、本作品には、現実音のフィールドレコーディングを実践する丸山の姿勢がかいま見えるギミックがひとつある。鑑賞者は録音を始めると1分間何も操作できなくなる。一般的なビデオゲームなら最悪のフリーズに見えそうなこの仕掛けは、音源にできるだけ干渉しないように動きを止める丸山の姿を連想させる。音を立てずに聴くことと録ることの表現がこの静止によって結びついている。
金子智太郎
愛知県立芸術大学美術学部准教授。専門は美学、聴覚文化論。2017年から日本美術サウンドアーカイヴを主宰。